ふたりを向かい合わせに座らせたのは失敗だった。あしたは席替えをしましょう。晴れたら、ふたりをピクニックに行かせてもいい。なんでも実現できる気がするわ。なにもかもが順調に思える。いまだけは(でもこんなことはつづきっこない。靴の話題に興じる面々をよそにその場から距離をおいて見るとそんな気がしたが)いまひとときは安心を手に入れていた。空を舞う鷹のように、喜びに包まれてはためく旗のように、夫人は悠然と宙に浮いていた。喜びは全身の神経をすみずみまで心地よく満たす。決して騒がしくなく、あくまでもおごそかに。そう、と、テーブルのみんなを順繰りに眺めながら夫人は思う。この喜びは、うちの人の、子どもたちの、友人たちの内側から、湧きあがってきたものなんだもの。この深い静けさのなかに湧きあがるそれは(夫人はごく小さな肉塊をもうひとつウィリアム・バンクスにとりわけようとしながら、陶の深鍋をのぞきこむ)なぜかしら煙のように、立ちのぼる煙霧のように、この部屋にゆったりと留まって、つどった人々をしっかりとひとつにまとめている。ことばはなにも要らなかった。なにも出てこなかった。ただ幸福の薄もやが、みんなをとりまいていた。夫人はバンクスのためにことさら柔らかい肉を選りわけながら、この喜びに永遠を思わせるなにかを感じるのだった。その日の午後にも、状況は違えど同じような感覚を抱いたものだ。ものごとにひとつのまとまりが、安心感がある、という実感。言うなれば、変化を被らないなにものかがあり、ひときわ耀きをはなっている(灯りを反射して波打つ窓を、夫人はちらりと見やった)。流れゆくもの、はかなきもの、幻影のようなものの面でルビーのごとく鮮やかに。そうして夫人は昼間にも一度味わった和やかで安らかな感覚を、夜になってまた味わったのだ。まさにこういう瞬間から、永久に残るものがつくられるんだわ。夫人はそう思った。いまこの時は、きっといつまでも残る。

ヴァージニア・ウルフ,鴻巣友季子訳「灯台へ」,池澤夏樹個人編集 世界文学全集 Ⅱ-01『灯台へ/サルガッソーの広い海』河出書房新社